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天の戸


製造石数1000石。
秋田県内42軒の蔵元の中でも、もっとも小さい蔵のひとつ。そんな天の戸の酒造りは、いまだ人の手に多くをたよっています。古い木の道具を使い、じかに感じる香りや手触りを大切にしています。

ここでは、
杜氏の私・森谷康市が、天の戸の酒造りをご紹介します。
ご覧になった方が天の戸の酒により愛着を持っていただければ幸いです。


杜氏略歴
1957年平鹿町に生まれる。
山形大学農学部卒業と同時に家業である農業に従事。
その後、中学時代の同級生でもある現社長・柿崎秀衛に誘われ蔵人となる。まったく未知の酒造りに携わる。
著作に、新米杜氏の酒造り奮闘記『夏田冬蔵(なつたふゆぞう)』(無明舎出版)がある。天の戸ならではの酒造りにまつわるエピソードが満載。
杜氏森谷氏

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地元でとれた質のいい酒米
滾々(こんこん)とあふれ出るやわらかな湧水
酒を生み出し、愛してくれる人々……

この調和がすべてです。


天の戸では100%酒米(酒造好適米)を使っています。銘柄は『美山錦』『吟の精』『亀の尾』『美郷錦(みさとにしき)』『星あかり』『秋田酒こまち』などです。
その米を語る時、決して避けて通れないのが、酒米を栽培する町の農家グループ『JA秋田ふるさと平鹿町 酒米研究会』の存在です。(写真:左)天の戸で使っている米は、コンクール用の大吟醸から精撰まで、すべて酒米研究会のものです。

同会が発足したのは1988年(昭和63年)のことですが、今のような関係が築かれたのは1992年(平成4年)のことでした。

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大冷害で、酒造りに十分な量 の米が入手困難となった大変な年でした。頭を悩ませ思案する中、「すぐ近くにこんないい酒米があるじゃないか!」と。あらためて研究会の酒米の存在に気づいたのです。

そしてこの出会いが念願の金賞につながりました。このことは研究会の酒米の品質がすばらしいことのあかしでもあったのです。
だからこそ、蔵の代表銘柄『美稲(うましね)』の裏ラベルに、会員のみなさんの写真と名前を印刷させていただきました。(写真:右)蔵の感謝の気持ちとして。

蔵人の何人かは研究会のメンバーです。私も仲間に入れていただいており、研究会の酒米にかける情熱を目の当たりにしています。
研究会は田植えに始まって稲刈りまで、その都度会員の田んぼを全員で見て回り、互いに研鑽を重ねています。そして秋には、丹精の結晶が蔵に入ります。

納められた米袋の名前を見れば、その米を作った人の顔が思い浮かびます。「今年の大吟醸に使った米は○○さんの」「このビンの酒の米は△△さんの」ということがわかります。そんな密接な関係が出来上がっています。
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仕込み水は、湧き水です。
天の戸のお酒は、それがどんな辛口のものでも「後味がやわらかい」と言われます。
使っている湧き水がとてもやわらかい軟水のためです。

その水源は敷地内にあります。ひと昔前まで実際に酒造りに使っていた木桶の底を抜いて地中に埋めた中に、青白く見える澄んだ湧き水が満ち、やがてすぐそばの琵琶沼に流れ込みます。

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平鹿町は古くから湧き水が多く点在する場所です。その中でも、蔵がある浅舞地区の中心部にある琵琶沼は、数多くの湧き水を源としており、江戸時代の民俗学者・菅江真澄が、『雪の出羽路』の中で名水としてふれています。

沼には、きれいな水にしか住まないといわれる、絶滅危具種のトゲウオ科『イバラトミヨ
』『トミヨ』(地元での通 称・ハリザッコ)が生息しています。

私たちが町内産の米だけを使っていることは先にお話しました。そして、酒の仕込み水は近くの湧き水。
お気づきでしょうか?
そうです。稲を育てる水とお酒を造る水、これは同じ水系なのです。

私たちの酒造りは、実は「米を育った水に戻してやる」ことなのではないか、溶かしてかえしてやることではないかと考えています。
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『和醸良酒』仲のいい蔵の酒はおいしいといわれます。酒造りは連携プレーですから、チームワークが悪くてはいい酒ができないという意味でしょう。

冬の閉鎖された蔵の中、四六時中一緒にいて三食一緒に食べる生活で、仲が悪くてはどうしようもありません。なんといっても酒造りの蔵は、労働基準法適用外の過酷な労働環境です。酒造りでやりあうことはしょっちゅうですが、酒をくみかわしては、それ以上に和を深めます。

天の戸は小さな蔵です。「冬は全員蔵人」をあいことばに従業員も酒造りに携わり、蔵人同様一人何役もこなします。蔵人と従業員との立場に垣根がありません。今のメンバーの一人がかけても「天の戸」はできないと思いますし、なにより、「人が変わったのに、同じ酒ができる」、そんな蔵であってほしくないという気持ちがみんなにあります。

営業力がない、宣伝能力がない。そんな蔵です。今でも社長以外に営業を担当する人間はいません。 今こうしてみなさんに少しずつ名前を知っていただけるようになったのは、本当にたくさんの方のあとおしのおかげだと感謝しています。

この冬も、蔵人が集まって酒造りのできることを感謝し、皆さんに喜んでいただけるお酒を造るのが私たちの恩返しです。





天の戸を語るとき、社長と写真家・名智健二氏との出会いを欠かすことはできません。 全国の酒蔵を訪れることをライフワークとされ、無類の日本酒好きでもある名智さん。その経験と知識、確かな舌で世に送り出した酒はどれも注目され、人気を博しています。酒造業界では知らない人がいないほどの写 真家です。

出会って以来お世話になり、ずっといいおつきあいをさせていただいていますが、その初対面 はちょっと面白いものだったといいます。 平成7年、新橋のとあるホテルで行われた日本酒の試飲会場の一角、天の戸のブース……

現れた焼き鳥屋主人風の男性(社長談)。試飲の酒を「たいしたことないなぁ」と飲みながら、並べていた『夏田冬蔵』(森谷康市著・無明舎出版)をすすめると、チラッと見て「まけろ」の一言。 「普通は本をまけろなどとは言わないだろう!?」と社長。まけろ、まけないのやりとりの中、聞けば、焼き鳥屋さんだとばかり思っていた男性はカメラマンだという。社長は、ここぞとばかりバッグから一冊の雑誌を取り出す。

 
それは、前日買った『十四代』の高木酒造が大きく取り上げられていた。特にその写真の美しさに心から感激していた社長は 「カメラマンなら、これくらいは撮ってもらいたいものですね」と、いささか失礼なカメラマンにぶつけると、なんとあろうことか、その写真を撮った人が目の前の焼き鳥屋……いや、有名なカメラマン、名智健二さんだったのだ。

これで名智さんと社長は一気に意気投合。それ以来いい関係を続けさせていただいており、この出会いが新潮社の『シンラ』への掲載につながりました。これは天の戸にとって、まさに大きなターニングポイントだったといえるでしょう。 しかしこのすてきな偶然も、社長が例の雑誌を買っていなければ、そして「夏田冬蔵」の本を会場に持っていかなければなかったことかもしれません。人の縁の不思議さを感じます。

釜湯 今年の寒造りが終わり
蔵にも一時の安らぎが訪れる

写真:名智健二 氏





浅舞酒造株式会社 〒013-0105 秋田県横手市平鹿町浅舞字浅舞388番地
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